裁判員制度には反対

最近余り活動的でないせいか、昔の曖昧な記憶を基にした記事ばかりupしているような気がします。
いっそブログ名を、「曖昧な記憶に基づく凡人のブログ」に変えた方がいいんじゃないかと思ったりしています。
それは追々考えていくとして、今日は裁判員制度の話です。何故、今そんな話かというと、特に何かニュースがあった訳ではないんですが、私は当初からこの制度には反対で、突然意識の中に浮かんできたので、改めて凡人なりに考えてみました。ちょっと危ない病気かもしれませんね。
思いついたことを列挙してみます。
・本来、裁判は裁判所の仕事であること。
・当初、一般の国民感覚と判決が乖離しないようにすることを考慮して導入したというようなことを裁判所側は言っていたが、それは裁判所側が努力すべきことで、一般国民を裁判に参加させることで改善しようとする考え方はおかしいこと。
・人知主義に近づく恐れがあること。
・思想・偏見・無理解など、資質的に問題のある可能性がある裁判員によって量刑が決められるのはおかしいこと。
・量刑が感情に影響される懸念が強いこと。
・6人の裁判員に対して、3人の裁判官が法律の適用などについて専門的な助言をするというが、評決が誘導される恐れがあること。
・提示された証拠が、すべて正しいということをどうやって確認することができるのかという疑念。
・審理の内容は非公開とされるが、「12人の怒れる男」のように、裁判員を番号で呼び、その話した内容や質問した事項を公開してもよいのではないか、ということ。
・重い刑事事件を審理するので、悲惨な殺人現場の映像などを見て、体調を崩したり精神的に不安定になる症状を発症する裁判員が現に出現している問題。
・強姦致傷、強姦強盗などの被害者などが、「むかつく」などと言う理性的な判断ができるとは思えない裁判員の目に晒され、興味本位と思われる質問を受けたことがあったらしいこと。
・裁判員は、一生、審理内容について守秘義務を課せられ、ずっとストレスを内包する恐れがあること。
私が思いつくのはこんなところですが、今後問題となる事例が出てくるのではないかと危惧しています。
「12人の怒れる男」の映画を思い出したので、また曖昧な記憶の話になりますが、後日upする予定です。